#8 PRIDE IS PRIDE

「して、貴様。これは何だ」
 男が一冊の帳面を開き████の前に叩きつける。
「全自動ゆで卵の殻剥き機とは一体どういうことだ、説明しろ████!!」
 『████』は態度を変えることなく机の上に足を投げ出してふんぞり返っていた。月末になるとここ『七顚屋』でよく見るいつもの光景だ。
 七顚屋は数年前に出来た便利屋――探偵、護衛や用心棒の依頼からくだらない機械や家の修理、更には表では言えないような”そういう”仕事まで受け付ける本当に便利な店だ――である。現在スタッフは計五名。そのいずれもが獣人と呼ばれる種族であるが、それ以外に彼らにはある共通点がある。
「いや、――? なんかほら、――? ――、――。結果的に――。――」
 『憤怒』の顔にはみるみるうちに眉間に皺がより――それどころかその顔は狼そのものへと変質し始める。所謂狼男である。デスクを掴む手に力が入り木材がとうとう悲鳴をあげた。
 そう、彼らは名を持たない。ここにいる全員が、『原罪』を名乗る謎の人物によって名を奪われ、その代わりに『七つの大罪』と呼ばれる罪を与えられた人間なのである。成り行きで████の元に集まったこの五人は、こうして共同生活を営みながら原罪に関する足掛かりを得るために情報を集めているのだ。
「黙って聞いていればぬけぬけと……そうやって貴様が無駄遣いをするから私が毎月の予算のやり繰りに頭を悩ませ、結果仕事に手がつかんのだ。そして見ろあのザマを!」
 もう既に狼そのものになった憤怒が指した先にあったのは明らかに故障したと見えるその全自動ゆで卵の殻剥き機である。恐らく修理すれば使えないこともないが、憤怒はこの先誰も手などつけないだろう、とひとり確信した。
「憤怒、過ぎたことはほどほどにしておきなさいな。暴食ちゃんにまた顔が怖いって怒られるわよ」
「色欲、このいい加減な████を甘やかさんでくれ。大体貴様はいつも……」
 『色欲』と呼ばれた女性は、壁に背を預け新聞を読んでいた。長く美しい髪とスカートから覗く白い脚が眩しい。そして何よりも――その豊満な胸と細い腰の起伏が魅了してきた男は数知れず。
 憤怒の長い説教が始まったが、気にもとめず色欲は記事に目を通す。これが彼女が████の下に████としてついてからの毎朝の習慣であった。唯一████を誓う████からの「朝一番に出た情報は漏れなく全て把握しておけ」という命令は、指示された日以来侵されたことは一度たりともない。
「連続絞殺事件……昨晩は二人、ねぇ」
 と呟いたところでようやく説教を垂れる憤怒の口が止まった。████が興味を示しデスクから身を乗り出す。そのままデスクに腰かけようとしたところで行儀が悪いと言わんばかりに憤怒が睨むが、████は素知らぬふりをして新聞を覗き込んだ。
「へえ、――――。――」
「人気のない場所で確実に殺されているからな、証拠もない上に目撃者も誰一人としていないんだろう。被害者は?」
「今回のはどちらも男性ね。普通の人間の」
 ここ一ヶ月ほど続く『連続絞殺事件』は彼ら七顚屋も気にかけていた事件である。夜、人通りの少ない路地裏で二、三人、多い時は四、五人が首を絞められて殺される。そして多くの場合、所持品の中から何かを盗られた痕跡が残っているのだがそれがまた妙だった。金品をはじめとした貴重品からただの菓子まで、価値にあまりにも差がありすぎる。そんなこんなで七顚屋にも一人で夜遅くに出歩けない人々から護衛の依頼があったりなかったり。
「女の人もいるけれど、男のひがいしゃも少なくないのだわ。あにさまもお外へ出るときは気をつけてね……?」
 ツインテールの少女『暴食』が憤怒の元へやってきて彼の裾を引いた。テーブルには大皿がきちんと重ねられている。ケルベロスの如く頭を三つ持ち、その小さな体で一般人の何倍も食べなければ生きていけない彼女は、無論食事の時間も長い。色欲は新聞を置くと一足遅れて完食した彼女の食器を片付けに行った。
「勿論だ、お嬢の心配には及ばない。寧ろその時は私が返り討ちにしてやろう」
「それもそれでかわいそうなのだけど……」
 そう言って暴食は手を離し、ソファへ座ろうとする。と、ここで隣の部屋から何かが落ちたような酷く激しい物音が聞こえてきた。
「おう――、――――!」
 ゆっくりと開いた扉からゆっくりとした動作で角の生えた少年『怠惰』が入ってきた。ベッドから落下したのであろう。頭を抱え、そのままのろのろと暴食の向かいのソファへ倒れ込む。
「いいや、今日はまだ早い方だと思うんだけど……おはよ……」
「たいださん、『おはよう』じゃなくて『おそよう』の時間だわ! もう十時すぎよ!」
 暴食がぷりぷり怒る。もしや憤怒の怒り癖が移ってきたのでは、と考えながら████はその様子を眺めていた。むっくりと起き上がった怠惰は手にした枕を抱えてひとつ欠伸をする。
「で、――――。また――?」
「そう決めつけるのは早計だろう。実際襲われているものは裕福な人間が多いが、どう見ても経済的に苦しい生活を送っていたであろう者もいれば獣人の被害者もいる」
 憤怒がノートパソコンを手にし、どこから入手したのかもわからない事件の被害者リストを開く。そっとデスクに置くと、三人がその周辺に集まってきた。
「その上盗られたものに関しても共通点があまりにも少ないのよね……犯行は無差別だと捉えるべきかしら」
「――、――――」
 この手の事件は獣人居住区と人間居住区の混合地帯であるここマキア街ではよくある話であるが、とはいえこれまでのものと同質のものにはどうも思えない彼らは一様に首を捻る。
「こんなに大きな人までひとりひとり首をしめてころしているのかしら……よっぽど力の強いひとなのね……」
 と暴食が指さしたのは身長二メートル超のガタイのいい男である。絞殺でなくてももっと確実な殺害方法はいくらでもあるはずだ。よほど腕に自信があるのだろうが、確かに何故これほど『首を絞める』ことに固執しているのか。
 煮詰まる一同の沈黙を破り怠惰がようやく声を出した。
「ってゆーか、考えてるところ悪いんだけど……今日はごーよくくん、まだ帰ってきてないの……?」
 はっ、となって辺りを見回す大罪達。確かに今朝から、この家では一番うるさい筈の『強欲』の気配が全くない。
「まぁほんと、今の今まで気づかなかったわ」
「――、――――? ――――」
「あの狐の事だ、野性を思い出し森にでも帰ったのでは――」
「助けて!! くれ!!」
 バン、と勢いよく扉が開かれたかと思えば転がり込んできたのはその強欲だった。慌てて駆け込んでくると████の肩を掴んで震える声でまくしたてる。
「――、――――――」
「そんな場合じゃねえって! 俺っち!! 殺されかけたんだって!! いやまじで!!」
「きつねさんだって人のこと言えないのだわ……」
「ごーよくくんが殺しかけたの間違い……?」
 勘弁してくれと言わんばかりにぶんぶんと首を振ると、汗が飛び散った。余程急いで走ってきたらしい。だというのに顔は真っ青に染まりまさに恐怖に震える狐そのものである。
「違う違う!! あれだよあれ! 最近流行りの、なんだ、首絞め殺人!!」
「なんだと!?」
 今度は憤怒が強欲の肩を掴んで引き寄せた。「貴様一度落ち着け! 落ち着いて見たことを全て話せ!」
 強欲は三度ほど大きく深呼吸すると、何故か後ろを振り返って何かを確認してから話し始めた。
「俺っちが今日の朝三時頃にここへまっすぐ帰ろうとした時だ。はじめは気の所為だと思ったんだけど、どうやら後をつけてくる奴がいる。足を早めて撒いてみようかと思ったけど、一向に距離は広がるばかりか足音が近づいてくるもんだからまさかと思って振り返ったんだ。そしたら――」
 一呼吸おいてそっと首に手をあてる彼は、未だに事実を受け入れ難いという顔で半笑いしている。
「後ろには誰もいなかった、と思ったらいきなり背後から首を絞められたんだ。突然の事で何が何やらわからなくて、でもとりあえず死ぬのはゴメンだったから、その場で咄嗟に化けて相手の手をすり抜けて……金を拾ってる暇もなかったから、大慌てでそこから走り去ったって感じ。顔はちゃんと見れなかったけど、外見はなんていうか、すごく白が印象的だった。ボトムスは黒な気がする。性別まではちょっとわからなかった……」
「よし、ちゃんと相手の外見を覚えて帰ってきたことだけは褒めてやる。で、貴様。先程から背後を気にかけているようだが、ちゃんと撒いたんだろうな?」
 メモをとり終えた憤怒がそう尋ねると強欲は静かにその場で土下座をし――「サーセン、ちゃんと撒けなかったみたいでもしかしたらその辺に……」
 頭を抱える一同。ため息をついて色欲が言う。
「はぁ……貴方、そういう事は先に言いなさい。████様、どうされます?」
 ████がデスクから飛び降りる。
「丁度いい、――」



 そうしてひとり外に出てきた████であるが、████にもまた████など無かった。ただ外を彷徨ってみて、████がいれば捕まえる。ただそれだけの████に対して████は████など必要としない。いつかに原罪に授かった████で、誰であろうと████を言わさず████ことが出来るからだ。
 七顚屋の事務所から少し離れ、人通りの少ない路地裏に入る。空は曇天。ぼんやりと見上げつつその道を通りカジノのある方へ向かっていくと、そこには札束が一つ落ちていた。
「ふーん、――――」
 とすると、彼が持ち歩いていたはずのアタッシュケースはどこにあるのか。そうかがみ込んで考えていたところで、背後に人の気配を感じた。
 そこからの流れは光のように速かった。
 動きは視認せずとも完全に見切っていたといえる。████も████の差も████が圧倒していた。後ろからそっと伸びてきた手を即座に立ち上がって振り返り、そして████で掴み、そのまま████に引き寄せる。――心なしかその腕は服の布越しにもかなり細く感じられた。
「――、――――、 ――――?」
 白い髪に白い服。強欲が話していた条件とは完全に一致する。するのだが、████は一つ酷く思い込みをしていたのだった。
 その"少女"は全くなんの悪気もなさそうな平然とした様子で████を見つめ返す。
「――――、――……」
「あの……なんかごめんね? アタシ、『嫉妬』っていうんだけど。これは……お仲間さんの落し物?」
 少女の左手に見覚えのあるアタッシュケース。████は全てを理解した。

 これが、全ての始まり。罪を背負う█人の、七転八倒の物語の起こりである。