file9: DANCE OF DEATH
テレビで何度も見た、マキア自治区。
獣人と人が共生する街。そこでなら私も、迷惑をかけずに生きていけるかもしれない。そう思って、ユウリは逃げるように家を出た。隣町から続く、今じゃ誰も使っていないような街道を辿って。誰にもこの姿を、この変わり果てた手を見られないように、袖を伸びる程広げて、必死に覆い隠して。
でも、現実は甘くなかった。マキア街でも獣人の肩身は狭かった。人間と、普通と、ほんの少し違うだけ。それだけで、こんなにも世界の隅に追いやられてしまうんだ。そう思うと、不安が波のように押し寄せる。何より、それを知らなかった自分の無知さ加減に辟易する。自分に、この街で息をする権利は、多分ない。
空腹を覚え、恐る恐る路端の売店でパンを買う。店員の視線が、声色が、心無しか冷たく感じる。考えすぎかもしれない。それでも考えずにはいられない。寧ろ、心配することで己を保っているのだろうか。代金と引き換えて、店を後にした。どこでもいいから、早く落ち着ける場所を見つけたかった。
すれ違った人は皆、自分を目にすると、咲かせていた笑顔をたちまち暗い顔にさせて俯く。草木に近づけば、それらは萎れた。どうやら、私はこの世界からとりわけ拒まれている存在のようだった。
食事をするにも気を遣う。気分が落ち込むと、どういうわけか手のひらから黒い液体が溢れ出してきて止まらない。人から生気を奪い取ってしまうらしいこれは、厄介なことに触れたものをもたちまち腐らせた。勿論、食べ物もすぐに駄目になる。なるたけ、気分が晴れた時に封を開け、口に運ばねばならなかった。
ただでさえ嫌いな自分のことが一層嫌になった。無価値を越えた害悪。自分のことが受け入れられない。気分が重くなる。何もできなくなった。とうとうユウリは歩くのをやめた。
陰の中、一度うずくまってしまえば、もう立ち上がることはできなかった。ユウリは泣いた。声を上げずに泣いた。涙が枯れても、代わりに黒い液体が延々と流れ続けた。泥のようなそれは足元に水溜まりを形成しつつあった。
こんな私に、鉄でできたこの街の市民は誰一人として近寄らない。寧ろ、その冷たさが心地良かった。このまま、放っておいてくれたら、あとは一人でどうにかなってしまうから。
「もし、そこの君」
一人で、どうにかなってしまえる筈だったのに。
目の前で足を止めた、一対の足音があった。二つ揃った靴とは違って腕が一本しかないその男は、瘴気をふりまく化け物に臆することもなくユウリの前に膝をつくと、翼の生えたその右手で彼女の手をそっと包んだ。
辛いよな。開いた口が、ただ一言そう発して、初めて自分が欲しかった言葉を自覚した。
当時は自分の心を宥めるので精一杯だったけれど、今ならわかる。何故あの人は私の手をとることができたのか。あの人は――虚飾さんは、身も心も、とっくに死んでしまっていたんだと。
「ユウリ、今日は駄目そうか」
扉の向こう、くぐもった声が彼女の名前を呼ぶ。締め切ったカーテンの隙間から鈍い光が差し込む小部屋。ユウリは横になったまま静かに一つ頷いてから、壁越しにはその行為が何の意味も為さないことに気づいた。慌てて声を上げる。
「ごめんなさい……」
我ながら随分と掠れた音吐だったが、声の主である虚飾はそれをしっかりと拾ったらしく、「そうか」と呟いたのが聴こえた。
「謝る必要は無い。俺は君を雇用しているわけではないからね。起きられる時に、起きてくるといい」
返事を待たずに足音が遠ざかる。それを追っていけばよかっただけなのに、ただそれだけのことができなかった。一度タイミングを逃した以上、なかなか上体を起こすこともできず、ユウリは瞼を開いたままで横になり続けていた。時計の針だけが仕事をしている部屋の中で、胸に刺さった優しさの針を咀嚼した。
結局、空腹を自覚してベッドから降りる決心がついた頃には短針は下に傾きつつあり、日も暮れようかという時刻になっていた。少し早めの夕食の匂いが鼻をくすぐる。扉を開くと、カウンターに皿を並べていた虚飾が振り返った。
「おはよう」
「すみません……また、こんな」
「君は謝罪より感謝の語彙を増やすべきだな。何度も言っているが、俺は死人だから生活習慣に関して君が気を払う必要は一つもない。俺が、ユウリのリズムに合わせるから」
「ご、ごめんなさ……あっ」
「いいよ、少しずつ慣らしていけばいいさ」
彼がどこかあどけない顔で笑う。目の前には簡素だが丁寧さの窺える料理が皿の上に乗って並んでいる。一人分の夕飯。虚飾の分はどこにもない。彼の口から出た「死人」という言葉は、未だ宙に浮いているように思えた。食事を前に、ユウリは回想する。
虚飾は、今からおよそ一年前に死んだ。ユウリがそれを説明されたのは、彼女が初めて此処に連れられてきたその日だった。
ぽつりぽつりと空き家が並ぶ少し静かな通りを抜けた先、ひっそりと佇む一軒の店。蔦が絡む様は寧ろ端正な年季を感じさせ、隠れ家のようだ、とユウリは思った。その印象は店内を覗いても変わらない。あまり大勢は座れないであろうカウンター、固定されたいくつかの木製の棚、少し段を上げて作られた演壇。この店が彼の手に渡る前の姿が、殆どそのまま残されている。この場所の生活感の無さは、どこか現実味のない空気を纏っている彼によく似合っていた。
とりあえず座りなよ。そう言われて、カウンターの前に並んだ椅子に腰掛ける。実家のダイニングとキッチンの間に備え付けられたカウンターテーブルを思い出して、少し胸が痛くなった。
「こんなものしかないけれど、良かったら」
「あ、すみません……いただきます」
目の前に炭酸水の入ったグラスと、皿に乗せられた個包装の菓子とが並べられた。手を伸ばそうとして、少し躊躇う。袖からはやはり黒い爪が覗いている。
不思議そうに彼が首を傾げ、翼の生えた右腕を掲げて言った。
「手が気になるのかな。見ての通り俺も獣人だし、ここには俺と君しかいないから、何も気にすることはないよ」
「いえ、そうではなくて。私が触って、腐らせちゃったらどうしようと思うと……」
ふむ、と呟いて一度彼が奥に引っ込む。程なくして、一対の作業用手袋を持って現われた。
「これをかませてみるとか、どうだろう」
試しに右手にはめてみる。熊のようなこの手には少し窮屈だったが、なんとか装着はできた。指も問題なく動かせる。これで少しは緩和できるだろうかと菓子に手を伸ばしたものの、二人の間に異様な空気が漂う。
「何か漏れてるな」
「何か漏れてます……」
手袋の隙間という隙間から何か黒いものが溢れ出ているのが観測できた。これが恐らく、ユウリの周囲で起きる異常の原因だろう。
「まあ、グラスくらいなら触っても大丈夫だろう。その能力については、おいおい対処していくとして、君には色々と説明をしておかないといけない」
彼が苦笑する。能力? 説明? ユウリは話が掴めなかった。
「もしかして、この変な……液について。何かご存じなんですか?」
「ああ、知ってる。その前に、まずは俺の話をしておこうか」
そうして彼は切り出した。俺の名は虚飾。生ける屍だ、と。
ユウリは最初、何かの比喩かと思った。生きる死体、確かに虚飾と名乗る目の前の彼にはそう言われても差し支えない雰囲気がある。すごく優しいのに、体温の無い感じ。額面通りに捉えて理解しかけていた表情を読み取って、虚飾は言葉を改めた。
「俺は一度死んでいる、本当だ。この体には血が通っていないし心臓も止まってる。信じられないなら確かめてくれてもいい」
虚飾が手を差し出す。応えるべきなのかどうかわからず彼の顔とその手とを交互に見やっていると、彼は穏やかな笑みを浮かべたまま頷いた。そっと右手を前に出すと、温度を感じない白い手袋に掴まれ、そのまま彼の左胸に触れさせられる。そうして事実を認めざるを得なくなったユウリは、ただただ目を丸くしていた。
「どうだった?」
「……それでもまだ、信じられないです」
「これから嫌でもわかっていくさ」
ユウリの手を離して、虚飾は自身の半生を語り始めた。
彼の生まれ、育った地の名前を、首都クイラディッチで生きてきたユウリはそれまで一度も見聞きした事が無かった。そんな遠い場所から、彼は家を出たまま帰らない「兄」を追って此処、マキア街までやってきたのだという。
しかし。
鋭いブレーキの音、鈍い衝突音。水溜まりにネオンが反射する豪雨の夜、運が悪かったのか神がそう仕組んだのか、彼は制御を失ったトラックに撥ねられた。何事もなかったかのように遠ざかっていくナンバープレート。ひた濡れる身体。誰も見ていない、否、見てみぬふりをしていたのか、夜の道であっけなくその息は絶えた。
ところが失った筈の意識が浮上する。次に目を覚ました時、彼の目の前にいたのは「原罪」を名乗る男だった。彼は見るからに獣の血を持ち合わせていない人間だったが、獣人を愛している、君たちが人間に虐げられるのが許せない、だから君を助けたのだと語った。
「そうして聞かされるのさ。俺は原罪の持つ力で自らの名前、その存在と引き換えに、『虚飾』の罪代になった。この虚飾としての力で、俺は今暫くの間だけ、生きているフリができるのだと」
虚飾は疑った。そんな美味い話があるものかと。原罪はやはり頷いて、条件を提示した。
彼が課されたのは、「憂鬱」と「傲慢」の身柄の確保だった。
「そして、君がその『憂鬱』なんだ」
突然自分の話になり、動揺してユウリは上擦った声を上げた。
「私が、憂鬱……? か、勘違いじゃ、ないですか。私にはユウリって名前がちゃんとあります、名前なんか取られてない。それにその、原罪って人も知らないですし……」
「それが問題なのさ。ユウリは原罪の知らないところで、罪代としての力を自分のものとして開花させてしまった。傲慢って奴も同じ。君たちは、原罪の制御下に無い状態にある。だから、彼は怒っている」
その手から溢れる黒胆汁が紛れもない証拠だという。こんな力、誰も欲しいなんて言ってないのに、私が自分で掴んでしまったというの? しかも、そのせいで顔も見たことのない人が私のことを探している? そんなの、あんまりだ。
「じゃあ、虚飾さんは……私を捕まえるんですか」
私を捕える必要があったから、私を憂鬱の罪代だとわかっていて、ここに連れてきたんですか。確かめるように問えば、彼は意外なことに肩を竦めて否定した。
「しない」
「どうしてですか」
「どうしてだと思う」
ユウリの疑問に、虚飾は答えなかった。答える気がないのか、答えることができないのか、表情からは感情の一切が読み取れない。
「……じゃあ、私も嘘みたいなこと、言いますね。私、元々人間だったんですよ」
ユウリは自らの素性を明かすことにした。人間に恨みを持っている獣人は多い。確実に助かりたいのなら、不利になるような話はするべきではない。わかってはいたが、今のアンフェアとも言える状態の居心地の悪さが勝ってしまった――否、そんなものはただの言い訳に過ぎない。本当は、誰でもいいから自分の苦しみを吐かせてほしいだけだった。
虚飾から目を逸らす。
「人間だったんです。こんな、熊みたいな手じゃなかった。それが、ある日を境に段々変わっていってしまって……隠し続けるのはもう無理だと思って、家出して、この街に来ました。獣人のことを同じ『ヒト』とも思っていない人間は、私の住んでいた街にはすごく多い。そんな街で、身内が獣人だとわかったら――その家族がどうなるか、想像はつきますよね。それだけでも大変な事なのに、今の私は触れたもの皆不幸にしてしまう力を持ってる」
「うん」
「でもね、虚飾さん。私も他の人間と同じです。正直に言うと、私はまだ獣人が苦手なんだと思います。失礼な話ですけど、自分がこうなったことも受け入れられてません。
けれど、獣人の皆さんだって同じですよね。そういう目を向けてくる人間は嫌な奴だって。だから」
「君のことは気にせずさっさと原罪に自分のことを売ってしまえばいい。そう言いたいんだね」
「はい」
「確かに、俺も人間は嫌いだよ。あれは俺の家族を殺した」
益々、彼の顔を直視できなくなった。面と向かって「嫌いだ」と言われると、想像以上に堪えるものがあった。
「けれど、それは君を嫌う理由にはなり得ない。君を売る理由にも」
ユウリは顔を上げた。そんな言葉が返ってくると思わなかったからだった。
「うん、正直に言おう。俺も君に会うまでは、憂鬱も傲慢も、原罪に売り飛ばすつもりでいた。そうしようと思っていたが……気が変わったのさ。今の話を聞いて、尚更ね」
「どういう、ことですか」
「俺にもわからない。だが、君の顔を見ていたら……そうすべきではないと思ったんだよ」
虚飾が窓の外を見る。何かを見るためではない。視線を逸らすための行先を決めた風だった。ユウリは、それ以上彼を追及するのをやめた。
あの時の曖昧な返事の答えは、未だに聞くことができていない。
ユウリは手袋――今現在彼女が着用しているものは、虚飾が能力を制御できない彼女のために作った専用のそれである――を外して、スプーンを手に取った。スープを掬って、口に運ぶ。身体の内側からじわりと温みが広がった。
その様子を、何もせずに、ただ静かに虚飾が眺めている。死人は食事をする必要もない。知っている。とはいえ、何度繰り返しても慣れない時間にユウリは気まずさを覚えている。
食事を進めながら、ぼんやりと店内を見渡す。ふと、ユウリの目にこの店では見慣れないものが留まった。花だ。植木鉢に、赤い花が咲いている。ユウリは目を瞠った。その様子に虚飾も気づいたようで、彼女の視線の先を振り返る。
その花の名前を、ユウリは知っている。
「ゼラニウム……」
「ああ、あれ。あんまり店が殺風景なのもどうかと思ってね、仕入れてみた。花はあまり詳しくないんだが……君は花が好きなのか」
「実家が、花屋なんです」
ぼんやりと花言葉を思い出す。深紅のそれは、憂鬱を意味していた筈だった。意図してなのか、はたまた偶然なのか、自分と同じ代名詞が与えられたその花を思うと少し笑えた。同じ憂鬱なのに、窓辺に咲く花の方が余程堂々と立っている。それが少し、羨ましい。
「花、もう触れないのかな」
両手を見下ろす。自制できない憂鬱としての能力は今は安定しているようだったが、酷い時は近づいただけで草を枯らしてしまった。その時のことを思い出して、唇を噛む。
「触れないものを見ているのは辛いか」
「いえ、そんなことはないです。寧ろ、花が傍にいてくれると……元気、出るので。このままにしていてもらえますか」
「そうか。わかった、じゃあまた気が向いたら増やそう」
「いいんですか?」
「世話の仕方を教えてくれるなら。尤も、この店が花で埋め尽くされる頃には、君はその手で花を触れるようになっていると思うけれど」
「そうだと、いいなあ」
ふと、ユウリは実家を思い出した。花屋を営んでいた私の家。視界の開けた一階部分が大通りに面するその店は、毎日沢山の人が立ち止まって花々を眺めていた。ユウリはそこで、家の手伝いをしていた。知らない花は無いと言ってしまえるほどに熱心に花の世話をし、客に一番似合う子を見繕って、彼らの元へ送り出した。本当に、花が好きだった。
そんなユウリの傍には、いつも親が、兄弟が、友人が、誰かがいた。
「ごちそうさまでした」
食事を綺麗に平らげ、食器を流しに運ぶ。一度思い返すと止まらない。温かいライトで包まれた家の中の光景が。
「皆、どうしてるかな……」
「ユウリは、どうしていて欲しいと思う?」
虚飾の言葉は、一つ一つがどれも悲しくなるくらいに優しい。目の前の相手に寄り添っている。寄り添いすぎて、彼自身の存在が見えなくなるほどに。
「忘れていてほしい。そうしたら、皆に心配かけずに済むし、私も気分が楽です」
「本当に?」
「……」
答えてから、嘘を吐いている自分に気が付いた。頷くことができなかった。
もう戻れないことを覚悟の上で、ここまで来た。厳しい規制が敷かれたあの街に獣人は住めない。家族に、友人に、迷惑は掛けられない。彼らが許しても、自分のせいで彼らが不幸になることに、他でもない自分が耐えられない。だというのに、もしかして自分は、まだ帰りたいとでも言うのだろうか。
喉の奥が詰まる。吐息が震えている。
「やっぱり、私……」
「ユウリ」
肩を掴まれて、ユウリは顔を上げた。お陰で零れかけた涙を堪えることができたが、酷い顔をしていたと思う。瞬く回数が増える。
虚飾がじっと、こちらを見据えている。ユウリがこれまで見てきた数多の人の中で、一番真剣な顔をして、彼はこう言った。
「絶対に、君が再び花を抱えられるようにする」
それは、誓いのような言葉だった。
右目の赤が、彼女を貫いている。嘘は吐かないと、言っている。
「俺が、必ず君を元の場所に帰す。その腕も治そう。約束する、君のために俺は全てを投げ打つよ」
虚飾はそう言い切るが、ユウリには彼の考えることが何一つ理解できなかった。温い人生の中、自分の身を守ることで精一杯だった彼女には、赤の他人にその身を捧げる心理など露ほどもわからなかった。
「どうして。そんなことが言えるんですか」
この問いに返ってきた答えを聞いて、ユウリはもう一度、酷く泣きたくなった。
「俺も、一度くらいは……誰かを掬いあげてみたかった。ただそれだけさ」
今にも溢れんばかりに浮かべた涙の理由に、柔らかな笑みを浮かべる彼は果たして気が付いているだろうか。
ねえ、虚飾さん。
どうして私を庇うの。
虚飾さんこそ、救われなくちゃいけないんじゃないの?
お兄さんがいなくなって、心配でこんなところまで来て、それなのに道半ばで倒れてしまって。その上、もうあなたのことを覚えている人は誰もいないんでしょう? 過去も、未来も奪われて、そんな虚飾さんのことは、一体誰が掬い上げてくれるの?
あなたにそんな言葉を言わしめる赤い瞳の奥には、一体誰がいるの。
「ユウリ」
血の通っていない、美しい声が、私の名前を呼んでいる。
ああ、そういうことか。ユウリは納得した。
あなたがその一つしかない腕を私に向けるというのなら。それが、あなたのしたいことだと言うのなら。
私は、不甲斐ないこの両手で、あなたのことを支えよう。
あなたの決意に、私も決意で応えるから。
「憂鬱と」
ユウリが口を開く。
「私のことも、『憂鬱』と読んでください。虚飾さん」
虚飾が笑顔を崩した。口を小さく開いたまま、顔を上げる。全くの想定外だと、丸くなった目が語っている。
「どうして」
「これからあなたの隣にいる人として、罪代になった者として……終わりが来る時まで、同じ立場でありたい、です。あなたの、力に」
一瞬、虚飾が悲壮な顔をしたのをユウリは見逃さなかった。彼女の言葉を飲み込むように目を伏した虚飾は、次に顔を上げた時にはまた、いつものように薄く微笑んでいた。
「……わかった。憂鬱」
二人で死の舞踏をするんだ。虚飾は言った。
いつ来るかもわからない終わりに怯えながら、今日を謳おう。
明日の自分に誇れるように。
塵と化した己が、昨日までは可憐な一輪の花だったのだと胸を張れるように。
「俺は、俺の成すべきことをしよう。死を忘ることなく、全てを在るべき姿に戻す。それが、俺がここにいる理由だ」
憂鬱は、虚飾の手をとった。こんな私でいいのなら、あなたの舞踏の相手になろう。あなたの想いを、姿を、この世界に遺すことができるように。あなたが正しく弔われるように。
(多分、私は人間に戻れない)
(戻れないのなら。せめて、私が私として生きていたことに、私が誇りを持てるように)
(あなたが手をとってくれた私が、無価値だと言われないように、頑張るから)
(――あなたが、誰かに掬われるその日まで)
そうして私たちはこの店の名前を決めた。
幸せの象徴、クローバー。白詰草、『シロツメ堂』。
約束が果たせるように。幸運が訪れるように。
墓石の上に腰掛けて、死神の奏でるヴァイオリンの音色に踵でリズムを取りながら。互いの頭に被せる冠を、それぞれが今日も作っている。
死を、忘れること勿れ。誰かがそう囁いた。