file12: ENVY IS WHITE

「ごーまんくん! あーそーぼ!」
 と背後から降りかかる声。傲慢はそれを聞き取るとひらりと身を翻し、飛びかかる嫉妬を軽くいなした。傲慢に抱きつく算段を立てていた彼女はそのまま勢いよく床に飛び込む――寸前、宙で一回転し器用にも着地する。
「んも〜ひどいよ! ちょっとくらい優しくしてくれたっていいじゃん、傲慢くんのケチ!」
「ケチは憤怒だけで十分だっつーの。オレは今から刀磨くのに忙しいからパス」
「ドケチ!」
「うっせーバカ、オレのプリン返してから言え」
「だから食べたのアタシじゃないってー!」
 そんな口喧嘩を繰り広げながら傲慢はすたすたと屋敷内を歩き回り振り払おうとするが、嫉妬は懲りずに延々と跡をつけてくる。ついに諦めた彼は、ため息をひとつ吐くとソファに腰を下ろし、刀と手入れ道具を机に置いた。すかさず彼女が傍に駆け寄ってくる。
「わは、遊んでくれる気になった?」
「ちげーよここで作業するんだよ」
「ほえ……」
 ひとつも視線を合わすことなく淡々と道具を広げる傲慢にがっかりした嫉妬は、脱力したように向かいのソファに倒れ込んだ。そのまま寝そべると口を尖らせて拗ねたふりをしながら脚をパタつかせている。傲慢はそれを瞥すると鬱陶しそうに顔を顰めてから再び刀に向かった。
 七顚屋の誰もが知るとおり傲慢は元よりかなり大雑把な性格をした男である。金の使い方も荒ければ計画性にも乏しいし、時間にも間に合わせなければ都合の悪いことは全て自分の良いように書き換える。そんな彼だが、ただ唯一モノだけは大切に扱っているのであった。不思議だな、と彼自身思っている。記憶はなくとも身体に染み付いている習慣なのだろう、どうにも飯とモノだけは粗末に扱えないのである。中でも己の刀は特別に大事で、その手入れは最早趣味の一つとも言えるほどの時間なのだ。その至福のひとときが邪魔されている――よりにもよってあの嫉妬にだ!――となればいくら寛容な傲慢といえども苛立たずにはいられない。目の前にいる彼女が気になって仕方なく、目釘抜で目釘を抜こうとするも今日はなんだか手こずってしまった。
「なあ、いつまでそこにいるんだよ」
 落ち着きを取り戻せない傲慢が、遂にぶっきらぼうに投げかけた。少しでも構ってもらえたのが嬉しいのか嫉妬は目をキラキラと輝かせながら傲慢を見つめる。
「なになに、いつまでもいるよ!」
「いやいなくていいから。頼むからあっちいってくれ」
「ねぇ〜いっつも思うんだけどさ、傲慢くんってアタシにだけ冷たくない⁉」
 そう言われてはたと気がつく。言われてみればそうだ。なんでオレはこんなに、コイツに対してイライラしてるんだ?
 理由のひとつは間違いなく、左目の力が通じないことだろう。嫉妬が七顚屋にやってきたあの日からこれまで何度も試してきたものの、やはり効果がない。原因も不明。そもそも目を覗けば相手を思いのままに操れるというのもおかしな話ではあるが、そのイレギュラーを越えてきたというのだから、その点において嫉妬は傲慢より一歩有利な立場にいると言える。常に相手より勝っていたい傲慢だ、それはもう腹が立って仕方がない。
 とはいえそれ以外で劣っている部分があるかと言われれば傲慢は否と即答できる。異能などなくとも容易に彼女の上に立つことは可能だろう。うーんと唸りながら柄と鎺を外した刀身を拭う。こうして思考を埋め尽くされることも非常に不愉快だ。傲慢は考えるのをやめた。お前がウザいからだろ、などと適当に返事をして打粉をとる。
「そんなことよりさあ。お前、自分のことはいい加減思い出せそうなのか?」
「ねえそれ強欲くんにも同じこと訊かれたんだけどー。全くだよ」
 嫉妬は腕でばってんを作り否定する。余った白い袖が揺れている。
「そんなこと言うけど傲慢くんだって記憶喪失なんでしょ? 色欲さんから聞いたよ~、お互い大変だねぇ」
「お前と一緒にすんじゃねーよ! オレはきっと原罪の野郎を今にでもとっちめて、直に元の記憶を取り戻してやるからな」
「お〜頑張ってくださいな」
 適当いいやがって、と刀に油を塗りながらちらと嫉妬の方を見てみると、いつの間にか彼女の手には新聞があった。既に今朝色欲が一通り目を通したものである。
「アホのお前が読んでわかることなんか一つも書いてないぞ」
「そんなことないもん! 四コマ漫画くらい読めるもん!」
「そ、そうか……」
 一通り作業を終え、鞘にピタリと刀を収めた傲慢は長く息を吐いて満足げにソファに凭れこんだ。そうして再び嫉妬の方を見ると、似つかわしくもない真剣な表情をしているので思わず笑ってしまいそうになったが、傲慢はそれをやめた。紙面を見つめる彼女の瞳は見たこともないほどに冷たく、同時にまるで何かを憂いているようだった。内容を咀嚼するようにゆっくりと睫毛が上下する。違和感が息をしていた。
 それでも、敢えていつも通りに声をかけてみる。
「おい、何か書いてあったのか」
 傲慢の視線に気づいた彼女は、次の瞬間にはいつものようなおどけた顔でへらりと顔を上げた。
「えー、なんでもないよ」
「あっそ」
 誤魔化されたのだろう。だがそれ以上追及しようとも思えなかった。所詮は他人だ、隠し事の一つや二つあったっておかしくはない。それで自分の立場が揺らぐわけでもなし。
 僅かな沈黙の後、嫉妬は席を立って傲慢が腰掛けるソファの背もたれに乗りあがると再び口を開く。
「……ねえ、もしアタシが取り返しのつかないようなヒドいことをしちゃったとしたら、傲慢くんはどうする?」
「なんだよ、藪から棒に。今朝のプリンのことでも謝りたいのか?」
「だーかーらーそれはアタシじゃないって言ってるじゃん!」
 いまいち嫉妬の心の底が読めない傲慢は頭を掻いてこう言った。
「……まあ、そんときゃお前を殴りに行ってやるよ」
 そっか。そう言って嫉妬はソファから飛び降り、その場を離れようとする。
「どこ行くんだ」
「あれれ、どっか行って欲しかったんじゃないの?」
「揚げ足取ってんじゃねーよ、質問に答えろ」
「自分の部屋~!」
「了解」
 そんなやり取りを交わした後、嫉妬は広間を出て行った。傲慢は今日何度目かわからないため息を吐くと、ソファに寝転がって天井を見上げた。
 別に彼女のことが憎いわけじゃない。この家から出ていって欲しいだとか、そんなことは思ったことは一度も無い。嫉妬だって大事な七顚屋の仲間だ、部下は皆等しく守る。それでも、やはり苦手なものは苦手だし、嫌いなものは嫌いだ。ピーマンが嫌いな子供にピーマンを好きになれなどと言ったところで直ぐに好きになれるはずもない。
「なんなんだろうなあ……」
 ふとテーブルの上にあった新聞が目に付いたので、手を伸ばして手繰り寄せた。珍しく色欲が今日は大したことは書いていなかったと言った朝刊、その片隅にある四コマ漫画を見る。そこには白い蛇と鷲がいた。なんてことはない内容だ。声を出して笑うほどの面白さはなかった。もう少し読んでみようかとページをめくった所でガチャリとドアが開く音がする。重そうな荷物を抱えた強欲が部屋に入るのに苦労していたので、傲慢は立ち上がると傍へ駆け寄って扉を開けてやった。
「ああ、ありがとね。例の仕事終わったよ。ってあれ、傲慢ひとり?」
「お疲れさん。怠惰と嫉妬は自分の部屋、憤怒は買い出し、色欲はまだ戻ってないぞ」
「そっかそっか。そういえば冷蔵庫にあったプリンなんだけどさ。昨日の晩、皆でデザートでも食べたんだろ? 最後の一つ、俺っちの分残してくれてたのかなって思って今朝食ったんだけど、アレすっごい美味しかったよ! ありがとな!」
「……プリン泥棒はお前かよ」
「あっ」
 真犯人が自ら名乗りを上げ、被害者は呆れて頭を抱えた。自分のしたことに気づいた強欲は半笑いでその場に硬直した。とはいえ、傲慢には怒る気力は既に無かった。
「つーことは、アイツはほんとに……」
 無罪を主張し続けた、白い彼女に思いを馳せた。