file03: THE TWO BEASTS
雪が、深々と降っている。
仕事を終え、帰路につこうとしていた憤怒――彼に名はない。今は憤怒という罪状と所属組織の番号があるだけだ――の足は、気分を変え柄にもなく大通りの方を向いていた。ほんの気の迷いだ。何か美味しいものでもあれば買って帰ろうだとか、好みの煙草でも補充しておこう、といった程度の考えである。
そしてたまたま、たまたまだ。彼の目にそこそこの好物であるサンドの屋台が飛び込んできたので、その場で購入しようと財布を取り出したその時であった。
「てめェ、何しやがる!」
「おい、あのガキうちの肉かっさらっていったぞ!」
「腕が、腕が――!」
憤怒の耳を怒声と悲鳴がつんざいた。何やら辺りが騒々しくなってきたな、と思いながらも、軽く耳を塞ぎながら憤怒はケバブサンドを十個ほど注文する。店主はその数に少し驚きつつも快く承諾すると、準備を始める。暫く待つ必要がありそうなので、暇つぶしがてら店主の背中に問いかけてみた。
「一体何の騒ぎなんだ、これは」
「ああ、ありゃ最近よく暴れてる獣人の子供じゃあないかね。あちらこちらの店で、なりふり構わず食い散らかしては逃げていくんだ。捕まえようとすれば逆に噛み殺されそうになる。まあでも、この間向かいの店長の奥さんが『自警団がお上の許可を貰った』だなんて噂してたから、そろそろ撃たれるだろうねえ」
なるほど、と相槌を打ちながら、既にカウンターに置かれていた商品を受け取る。礼を言って、代金を払い、屋台の前から立ち去った。このままさっさと通りを抜けてしまおう、そう思った。
しかし、心の中の何かが憤怒の足を止めさせた。
「獣人の子供、か」
顔の横、狼にも似たその耳に触れながら、その言葉を反芻する。ため息を一つ。吐いた白い息を置き去りにして、憤怒は気づけば騒ぎが起きている方へと歩を進めていた。厄介ごとに首を突っ込む趣味など彼にはない。ただ、このまま同族の子供が撃たれることをわかっていながら見過ごすというのも胸糞が悪いので、様子だけ見に行こうかと、ただそれだけだ。
血を流しながら地べたを這う、幼い子供の姿が目に入った。
人間が、大の大人が、輪になってその幼子に石を投げつけているのを目にした。
――その光景が、我慢ならなかった。
暴行の様子を遠巻きに見物していた人間の一人が異変に気づき、声を上げる。一人、また一人と振り返ったその視線の先には、人ならざるもの、大狼の姿あり。逃げる間もなく、それは群衆をねじ伏せていった。
狼男は、放っておけなかった。全くの赤の他人の自業自得。善悪のつかない獣の末路。助けたところで自分には何の得もない。しかし彼にはどうしてもその飢えた幼子の姿が、かの少年――そう、家を出て死に損ねた挙句、醜く森の中をさ迷っていた頃の自分に重なった。ここで絶やすべき命ではない。同情か、或いは正義感か。きっとどちらでもないだろう。暴力に任せて自分の機嫌をとっているだけなのだから。
取り囲む人間を一掃すると、脇に子供を抱えて颯爽と駆け出した。直に自警団が来るだろう。その前にこの通りを離れなければ、子供のみならず自分の素性も暴かれる。裏社会に生きている憤怒にとって、それはいただけない話だ。
「……ッ、何をしている」
ふと左手に違和感。ちらりと見れば、手袋に血が染みていた。まさか、手を喰っているのか?
先刻までは気がつかなかったが、子供はどうやら三つの頭を持っていた。その様はまるでケルベロス。真ん中の頭は人のものだったが、その左右に見えたのは狼や犬の類のそれだった。その頭の一つ、左の頭が憤怒の手を噛み咥えており、歯は次第に奥へとくい込んでゆく。まさか、この手を噛みちぎり食う気ではなかろうか。
一度歩みを止めて誰もいない建物の裏へと隠れた。抱きかかえていた子供を下ろし、強引に手を引き離そうと試みる。
「貴様、やめないか。腐った社会に飼い慣らされた獣の肉など微塵も美味くはないぞ」
「……ゥゥ」
言葉を理解しているかどうかも怪しい幼児に説教をしても当然意味は無く、一向に捕食をやめる気配はない。寧ろ事態は悪化する一方だ。滴る血液に次第に冷静になっていた憤怒は、既に狼の姿から人の身体へと戻っていた。
落ち着きを取り戻したことで次に生じたのは焦りだった。いくら痛みに疎い体質だからといってこの状況は看過できない。何処でどんな生活をしてきたかわからない生物の噛み傷だ、感染症になる可能性だってある。
頭の片隅に左腕切断の可能性を置きながら、残った右手で無理やり引き剥がそうと荷物を下ろした。その荷物を見てはたと思いつく。
「……なあ貴様、腹が減っているんだろう。ほら、食うならこっちだ」
片手で紙袋から先程購入したケバブサンドを一つ取り出した。手にしたそれを恐る恐るその顔へ近づけてみる。
「ガルル!」
だがしかし、今度は空いた右の頭が食らいついてきた。危うく右手ごと持っていかれそうになり、慌てて手を離す。犬の頭は食事を一口で平らげてしまうとこちらを凝視してきた。唸り声をあげる獣から視線を外すと、少女の顔が目に入った。
そういえば、活発に暴れている左右の頭に対して中央の頭は口を開く気配がない。彼女だけは虚ろな目で虚空を見ているばかりだ。見た目で判断するならば彼女こそが本体、或いはこの身体の主のように思えるが、それが機能していない。なるほど、と呟き憤怒が次に手にしたのは、自分の腰に巻いていたベルトだった。
「貴様には少し大人しくしていてもらおうか」
食物を囮に右の頭の口をベルトで縛って封じる。少々強引ではあるが今はこうする他ない。
そして再びサンドを手にし、今度は中央の頭の口へと運んでやった。口を開かせれば、鋭い犬歯を持つ左右の頭とは違って年相応の乳歯が見えたため、ちぎって少しづつ食べさせていく。そうして一つ食べ終わらせた頃には左右の頭は何故かすっかり眠りにつき、左手を捕らえていた歯は容易に抜くことができた。
簡単に止血を済ませる。生気を取り戻した少女の目が、その様子をじっと観察していた。
二人の目が合う。
「……だあれ?」
「私は、ああ――憤怒、憤怒だ。お前の名はなんだ」
「……わかんない」
「親は、どこにいる」
「おや……って、なあに?」
ボロボロの服に手入れのされていない伸ばしっぱなしの髪。何よりも、あれだけ街の食べ物を食らっておきながら尚も痩せこけた身体。孤児と見て間違いはないと確信する。
「そうか、まあいい。とりあえず此処を離れるぞ、お嬢さん。今から私の家へ行く」
こうして出会った二匹の獣は、奇遇にも七つの大罪を背負っていた者同士だったことなど、その時はまだ誰も知る由はなかった。そして数奇な出会いから二年の時が流れ、現在に至る。
*
しまった、と思った時にはもう遅く。
「あにさま!」
「お嬢!」
マキア自治区で何度か見かけたことのあった赤毛の少年と露出の多い女性。ここ最近、やけに頻繁に目にすることが多くなり不審には思っていたが、別段気には止めていなかった。
それが甘かった。
「悪いがなあ。お前んとこの上司を名乗る人間から、お前の処分と嬢ちゃんの身柄確保の依頼を承ってんだ。とはいえあんまり手荒な真似もしたくねえから、まあ一回ウチへ来いよ」
などと言いながら、後ろから刀と思われる剣で首元を狙うという既に手荒な真似で、憤怒は連れていた幼い少女を人質にとられていた。人気のない通りだ、助けを求めることもできない。第一、いつもならとらない不覚であるし、そもそもこの程度の敵を払えないようであれば裏社会の仕事など到底務まりはしない筈なのだ。体格差を見ても憤怒がいなせない相手ではない。しかしどういう訳か、まるで自分がシステムに制御されたかの如くその少年に逆らうことはできず、手足はおろか今の彼は指一本動かすことを許されなかった。それは彼が命よりも大切にしているその少女に毒牙が向けられていた、その状況だけが原因ではない。
本当に、金縛りにでもあったかのように、彼は一切の抵抗を許されなかったのである。
その少年は憤怒の顔をまじまじと見つめた後、その手に紙切れを握らせた。
「これ、名刺な」
「貴様の名刺などいるものか」
「おおっと、それが無いとこの子を取り返しにも来れないんじゃあないか?」
ちらと名刺を見れば、そこに彼の名前と思われるものは書かれておらず、代わりに『七顚屋』という事務所名とその住所、電話番号が書かれてあった。どうやら偽のものではなさそうだが、と住所の辺りの地図の記憶を辿りながら思う。
「……まて」
そう、彼は「名刺を見て」いた。気づけば見えぬ身体の拘束は解かれ自由の身になっていたのである。しかしその数秒足らずのうちに彼らは姿を消していた。
「クソが、まんまとしてやられたか」
久方ぶりの心からの憤怒の念に、いつの間にかその身は自粛していた筈の狼の姿へと変貌する。その少年に、というよりかは自分の不甲斐なさに対してしびれを切らした憤怒が拳を壁に打ち付けると、コンクリートに亀裂が入った。その手には既にくしゃくしゃに折れ曲がってしまった名刺が握られている。
壁に背を預け呼吸を整え、頭を冷やす。数分ほどして、漸く元の姿に戻ることが出来た。
一時の宿にしていたホテルへと向かいながらもう一度名刺を見て、その住所を暗記する。今すぐにでも向かいたいところだが、あの下賤を痛めつけるには今の装備では不十分だった。
内容は把握したことだし、もう不必要だろうとゴミ箱に紙切れを捨てようとしたところで、彼は名刺の裏面に何か文言が書かれているのを発見した。皺だらけの名刺を広げながら文面に目を通したが、怒りが加速するばかりだ。
「……どこまで勝手な奴だ」
頭を抱えながら帰路を急ぐ。今何よりも重要なことは、如何にして少女をあの忌々しい少年の手から解放してやるかだった。
憤怒は所謂暴力団に類する組織の一員、だった。
育ちは悪くなかった。しかし少年時代に精神を病み、森の中で命を絶とうとして失敗したところで、突然現れた謎の男に異物を飲まされてから早五年が経つ。最初の一年は植え付けられた怒りの感情に支配されてしまい、生来からコントロールしてきた筈だった狼化の特性を再び制御できるようになることに精一杯だった。森で獣を狩りながら泥水を啜るような、人間とは酷くかけ離れた生活をしていたのを覚えている。月日が経ち、力を抑えられるようになった彼は、街に降りることを決意した。とはいえ今更普通の職にありつける筈もない。みすぼらしい身なりでスーツの男に肩をぶつけてしまい、怒りに任せて殴りかかってきた相手を返り討ちにしてしまったところ、気がつけばその集団に属していたというわけだ。収入はそれなり。違法な取り引きなどに関与しながら、ある日拾った『お嬢』と呼ぶ少女を養いつつ生活を続けていた。彼女は異常なまでの大食らいである一方で、非常に賢い子供だった。買い与えられた本を読みながら、文句の一つも言わず家で留守番を引き受けてくれた。このまま二人で密やかに生きていければそれで良かった。
しかし神はそれを許さない。直属の上司に、少女の存在がバレてしまったのだ。その上、少女がかつて構成員に危害を加えた獣人と同一人物だったらしく、ボスから直々に、彼女を引き渡すように通達が来た。
その後は簡単だ。憤怒はその命令を無視した挙句、狼の姿で暴れまわりボスを含めた数人に大怪我を負わせ、少女を連れて借りた家を出、逃げ回って今日に至る。
だが、まさか組織外の業者に処分を委託するとは想定外だった。特に今回は内部の問題だ、内内で片づけるに越したことはない。何か不都合なことでもあるのか、人員を割く余裕がないのか、はたまた自分の力を恐れたか。しかしこれは憤怒にとって大きなチャンスとも言える。あの若造と女相手であれば、まだ二人で逃げられる可能性は十分にある。
憎き犯人達を潰す算段を立てつつ歩くこと半時間。見上げればぽつんと古い屋敷が立っている。月明かりでぼんやり照らされたその建物こそ、マキア街七一〇に建つ七顚屋で間違いない。左手には次の地へ逃げるための荷物。右手の名刺はもう用済みだとポケットに突っ込み、代わりに拳銃を手にした。覚悟を決めた面持ちで敷地を跨ぐ。
今の時代にはそうそう見ないドアノッカーで、かんかん、と音を鳴らす。存外夜の通りに響き渡ったその音に呼応するように、「はいはーい、今開けますよっと」と中から陽気な声が聞こえてきた。ただでさえ気が立っていた憤怒の苛立ちが更に募る。扉が軋みを上げそうっと開いた。
「よ〜こそ、七顚屋に――」
「さあ、お嬢を出してもらおうか!」
扉が開かれるなり相手に銃を突きつける。額に銃口を突き付けられ青ざめているのは、狐に似た尾と耳をつけた金髪の青年だ。初めて見る顔だが、彼も七顚屋に所属しているのだろう。
「ちょっと待ったタンマタンマ! その物騒な物しまって! 俺っちは『強欲』だ、あんちゃんが物申したいのは俺っちじゃなくて多分奥にいる『傲慢』だろ!?」
青年はそう言いながら奥の扉を指さした。なるほど、あの向こうに標的はふんぞり返っているらしい。怯える青年の首根っこを掴んだまま、つかつかとホールを進み、憤怒は勢いよくドアを開け放った。
「さあ、大人しくお嬢を引き渡してもら……なんだこれは」
引き摺ってきた青年を端へ突き放し、室内を見渡す。そこには信じ難い光景が広がっていた。
「あにさま! やっときてくれたのね、しんぱいしていたのだわ」
「あら、やっとお客様がいらっしゃったみたいね。ええと貴方は……紅茶がよろしいかしら、それとも珈琲?」
「色欲、オレにも紅茶おかわりくれ」
「このクッキー、とってもおいしいわ」
「……何のつもりだ」
そこにはテーブルを囲み、深夜にも関わらず茶会を開く三人の姿があった。少年はケーキに手を伸ばし、女は席を立って紅茶を入れる。お嬢は楽しそうに彼らと会話しながらクッキーを頬張っていた。伏魔殿へ赴いたつもりがひとり一般家庭へ放り込まれてしまったような気分の憤怒は、拍子抜けして暫く呆然と立ち尽くすしかなかった。
「ちょっとちょっと傲慢! 話と違うって! 俺っち今日は新人二人迎えて楽しくパーティーって聞いてたんだけど!?」
「ああオレもそのつもりだぜ」
「どこが!? あいついきなり拳銃もって上がり込んできたんだけど!?」
憤怒から解放された青年は脱兎のごとく少年たちの方へ駆け寄り泣きついている。それとは対照的に笑みを浮かべている傲慢と呼ばれた少年は、このように返事した。
「ちゃんと名刺の裏面に『今晩、暴力団員としてのお前の人生を終わらせてやる』って書いただろ」
「あの状況でそんな文章渡されたらそりゃ宣戦布告としか思えないでしょうが!」
「そうだそのことだ!」
傲慢の言葉に我に返った憤怒は、少年を指さし怒鳴る。
「どういうつもりなのかは知らんがな、私は処分されるつもりも貴様らにお嬢を引き渡すつもりも毛頭ない。早急に貴様を殺し此処を立ち去らせてもらう」
「まあまあ落ち着けって、ちょっとくらいオレの話を聞いてくれよ」
少年はケーキを頬張りながら立ち上がる。ゆっくりと歩いて憤怒の方へ近づいてきたので、牽制に彼は蟀谷を狙い一発撃ち込んだ。少年は顔を傾け、銃弾をすんでのところで躱す。発砲音が鳴った後、弾は後ろの壁に突き刺さった。穏やかな空気から一変、静まり返った室内で残された三人は緊迫した表情で二人のやり取りを凝視している。
「あっぶねー、室内での発砲は勘弁してくれよお客さん」
「貴様の客になった覚えはない」
強情な憤怒に傲慢は呆れたようにため息を吐いた。「なら無理やりにでも客になってもらうぜ、『武器を置いて手を上げろ』」
「は?」
冷めたような傲慢の声が憤怒に届いた。次の瞬間、憤怒の意に反して彼の手は握りしめていた銃を投げ捨て、頭上に上がっていた。やはり、体はウイルスに感染されたコンピュータの如く指示を聞かない。昼間の金縛りと同様のからくりであることは見抜いていた憤怒は、二度目は同様こそしなかったものの、対抗する術が無い状況に歯嚙みした。目の前の少年の左目が突き刺すような黄金色に輝いている。
「『傲慢』って名前を聞いてピンとこないような奴じゃねえだろ、お前は」
「……貴様らも、七つの大罪ということか」
期待通りの回答に傲慢が満足げに頷く。
「そうだ。オレたちは皆同じ様に、死にかけのところであの男に大罪としての力を与えられた。その代わり、この世界から自分の存在はなかったことになって――己の名前を代償にして、今こうして生きているわけだ」
「そこまではわかる。で、貴様の要求はなんだ」
「お前らを今日から七顚屋のメンバーにする」
「何だと?」
「オレはあの男にちょっとばかし文句がある、だから居場所を突き止めたいと思ってる。それで、同じ目にあった奴らを集めて手掛かりを探してんだ。実はお前と暴食の存在は随分前から知っててな。いつか引き込もうと思ってはいたんだが、色欲の諜報でお前が処分されるかもしんねえってわかったから慌てて動いたってわけ。組織と契約したのは事実だが、昼間の脅しはハッタリだ」
「貴様の口から出る言葉が事実か否かはこの際どうでもいいのだ。私が、貴様の庇護下にまわるだと? ハッ……戯言も大概にしろ。これまでの軽薄な行為の数々、共に行動するに値せん。私たちは私たちだけの力で生きる。それに私はあの男にはもう興味など無い、手を貸すつもりはない」
「そうかそうか。色欲」
はい、と返事をした色欲のスカートの下から伸びた蠍の尾が、少女――暴食の死角から首筋を狙っている。幼い少女には今の状況が理解できていない。何故二人が喧嘩しているのかはわからないが、どうすれば仲直りできるのだろうかと不安げな表情を浮かべていた。
「二択だ。お前も死んで嬢ちゃんも死ぬか、二人ともうちに住むか。好きな方を選べよ」
「ぐ……」
身動きを取れない憤怒は、目の前の少年をただただ睨みつけることでしか反抗の意を示せなかった。
誰かの言いなりに、人の、規則の、習俗の、社会の犬になるのはもううんざりだった。憤怒は、少女にどうしても自由を与えたかった。ここで負けるわけにはいかなかった。
「この期に及んで諦めが悪すぎるだろ、何したら折れてくれる? とりあえず……そうだな、土下座でもしとくか?」
「この……ッ」
傲慢の言葉により、憤怒の片膝が折れた。だが頭を下げるには至らない。憤怒は抵抗した。筋肉を肥大化させ、体毛で身を覆い、狼の姿に化した彼は、己の持つ全てを振り絞り、見えない力に今度こそ打ち勝とうとした。これには傲慢も口笛を吹き、興味を示す。
「中々骨があるじゃんか、気に入った。ますます欲しい。でもうちの壁に傷入れてんだから、そこはちゃんと謝ってくれるよな」
「貴様……ッ」
指を鳴らす音がした。その鈍い音をトリガーに、遂に憤怒の頭は地についた。傲慢は満足そうに笑みを浮かべ、拘束を解く。
だが、憤怒は暫く顔を上げなかった、否、上げられなかった。悔しさのあまりに顔が酷く歪んでいたからだった。今あの男の顔など直視できる筈もない。ただただ己の無力さを嘆いた。何よりも、この姿を少女に見られていたという事実が耐え難い。
自分には、子供一人の未来を保障する力すらもないというのか。
「ようこそ、七顚屋へ。お前は五人目のメンバーだ」
不本意ながら、今日この日、暴力団員としての憤怒の人生は終わりを迎えた。
「オレが、お前らにこれから『自由』ってやつを与えてやる」